船橋晴俊 氏の「追悼のしをり」 平成26年8月17日

「私たちの心にひろがる晴れた空」

幼少からロケットエンジニアを目指すほど科学技術に精通していた晴俊は、学生時代に高度経済成長の功罪にいち早く
気付き、環境社会学を志します。まだ一般の認識が薄かった時代、新幹線公害、水俣病、核燃料サイクルなど現代社会問題
の現場に社会学を持ち込んだパイオニアの一人でした。常に弱者の立場に立つ心と堅実な思考で一貫して組織的なレベルで
生じる問題を分析し、実現可能な社会正義を追求しました。教師としては飾り気のない博愛で大勢の学生から慕われました。
福島原発事故以降、いよいよこれから原子力市民委員会を率いていくという意気込みの中帰らぬ人となりました。

晴俊は学問の現場だけでなく、地元大磯町の郷土をこよなく愛し、その自然や景観を守る住民運動にも積極的でした。
また社会学的研究に留まるだけでなく、まだ再生可能エネルギーが知られていない頃から自宅に本格的なソーラー蓄熱・
発電システムを作り上げ次世代技術の実践的追求も怠りませんでした。

仕事一筋でしたが、三人の息子には単に父親としての役割を超えた愛情を注ぎ、それぞれの自立を支えました。あるときは
勉強や水泳をまたある時は留学を支援するなど、子どもの将来を大きな視野で見据えて自由と知恵を与えてくれました。

妻・恵子とは出会ってから50年、結婚してから40年にわたり、公私ともに歩んでまいりました。
夫としての晴俊は恵子の最大の理解者であり、よき相談相手であり、人生における本質的経験の共有者でした。
難しい問題には厳密なアドバイザーであり、一家でフランス留学するなど時に大胆な冒険家でもありました。
恵子の研究者としての挑戦、人生の発展を常にサポートするかけがえのないパートナーでした。

平成26年8月15日船橋晴俊は66歳をもって生涯の幕をとじました。今こうして縁のある方々にご参列いただき大勢の方
の好意と協力に恵まれた人生であったと改めて感謝いたします。私たち家族が愛した晴俊の人柄が学問社会のためだけ
でなく広く参列いただいた皆様の心に生き続けることを願って送ることばとさせていただきます。
                                                                 妻 船橋恵子
                                                                 長男  寛俊
                                                                 次男  真俊
                                                                 三男  智俊

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